仙台オープン病院 登録医会秋季勉強会

登録医会

仙台オープン病院 登録医会秋季勉強会

日時 令和元年10月31日(木)午後7時
場所 仙台 勝山館
演題 「瞑想という脳の使い方」
演者 芥川賞作家 臨済宗福聚寺住職 玄侑宗久 氏
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令和元年10月31日(木) 芥川賞作家 臨済宗福聚寺住職 玄侑宗久氏をお招きしました。「分析的な知性のほかに、脳にはもう一つ瞑想という別な使い方があります。瞑想にこそ人間ならではのパワーが秘められています。」とコメントをいただき、「瞑想」についてお話しをいただきました。分かり易く軽快なトークで講演会会場は大変盛り上がり、盛況のうちに会を終了することができました。

登録医会学術委員 五十嵐司先生にご講演を要約していただきました。

(地域医療連携室)

さまざまな機関から職業別長寿ランキングの第一位は僧侶であるとの報告がなされている。今や一般と食事がほとんど変わらない以上、瞑想的な行による心の平安がその理由であると思われる。

人間の脳の使い方には思考と瞑想という二つがある。より分析的で多大なエネルギーを要する思考に対して、瞑想は思考することを休止した脳の節電状態と言える。瞑想状態ではα波(8〜13Hz)からθ波(4〜7Hz)の脳波が出現するが、これは大脳皮質の活動が休止し、大脳辺縁系や脳幹部の活動が中心になっている状態と考えられている。日常の緊張を緩め脳をリラックスさせた状態と表現することもできる。まさにこの状態にこそ人間の未知なる能力を引き出すための鍵が存在しているのである。

この瞑想状態を獲得するための手段(技術)がお経や祈りや坐禅である。インドに始まった瞑想法の一つである「観」行(ヴィパッサナー)は、変化し続けるものに意識をのせる方法である。そこでは「私」の発生が妨げられ、当然自己の感情や習慣的な判断が介在することはない。変化し続ける対象を観ては離す、すなわちtouch and releaseの繰り返しである。この繰り返しこそが物事をありのままに見ることであり、お経もこの「観」行に通じる瞑想法の一つと捉えることができる。

例えば脳梗塞による発語障害を持つ僧侶が毎日頭の中でお経を唱えていたところ、ある日突然発語が可能になったという例がある。これは「ホログラフィー」として記憶されているお経が脳全体の血流増加を促し、瞑想状態になったことが脳の機能に影響を及ぼした結果であると推測できる。瞑想状態では、左右両眼で注視することにより一本に見える指が二本に見え、さらにその指先が透けて見えたり、黄色い物を見ていてもその周囲に黄色の補色である蛍光色の紫色が見えるようになることが経験される。深い瞑想状態にある人の伸展された肘関節はいかなる強い外力によっても屈曲することはない。このように瞑想状態では普段は経験しない不思議な現象が起こることが知られている。瞑想において意識は非常に重要な意味を持つ。例えば意識の持ち方次第で同じ質量のものを軽く感じたり、重く感じたりするのは日常よく経験することであろう。また歩行、睡眠、坐るといった行為は人間が生来日常的に行うありきたりな行為ではあるが、日本の学校教育というシステムの中でその正しい方法を教えられることはない。意識を身体の動きそのものに連動することで様々な効果が生まれてくることが知られている。フィギュアスケートの羽生結弦選手が怪我で練習ができない期間に採用したイメージ法(成瀬吾策氏考案)もその一例である。彼はその後見事な復活を果たしたが、全身の動きをリアルに想像し、思いやることも瞑想であると言えよう。より分析的な脳の使い方である思考はいずれAIに取って代わられるであろう。ならばAIでは決して代用できない瞑想にもっと注目し、身心にとってより有益なパワーを引き出すことこそ有意義ではないだろうか。

(文責:上杉・五十嵐産婦人科医院 五十嵐 司)